黎明期から現在までのパチンコ&スロットの歴史を追っていきます。

パチンコ・スロットの歴史

パチンコ・スロットの歴史は意外に古く、パチンコは許可営業の1号店が1930年に誕生。スロットは1964年に登場したオリンピア機が元祖です。
さらにパチンコの原型になったゲームは1920年頃に登場したと言われていて、約100年もの歴史を持っています。

 

現在も賑わいのある駅周辺や幹線道路沿いには多数のパチンコ店があり、身近なギャンブルとして広く浸透している一方で、客離れが深刻なニュースとして度々話題になっています。
未だに参加者は多いものの、最盛期と比較すると確実に衰退傾向にあるパチンコ・パチスロ業界。
そんな今だからこそ、そのディープな歴史を辿りたいと思います!

 

 

日本は世界屈指のギャンブル大国

江戸時代から普及していたチンチロ

 

パチンコ・スロットの歴史を紹介する前に、江戸時代から普及していた日本のギャンブルの歴史を紹介します。
海外のギャンブルを見れば1638年にイタリアで世界最古のカジノが登場し、中世からヨーロッパではギャンブルが普及していましたが、当時は上流階級の方だけが楽しめるものでした。

 

日本では、ヨーロッパでカジノが広まっていた江戸時代の頃から、チンチロリン・丁半・花札などのギャンブルが庶民の間で普及しています。
日本が世界屈指のパチンコ大国になったのは、江戸時代から続く賭博好きな文化が関係していたのでしょう。

 

 

黎明期から戦後のパチンコブーム

戦後の様子

 

パチンコの発祥は諸説ありますが、1900年代前半に欧米から伝わったコリントゲームを改良したものが発祥と言われています。
その後、1930年にアメリカ発のウィールゲームを改良したパチンコを楽しむお店が風営法の許可を得て営業開始しました。
当時はローカルな遊びで人気は伸び悩み、日中戦争・太平洋戦争をキッカケにパチンコは禁止されてしまいます。

 

戦後になると、現代パチンコのベースになる正村ゲージ(不均等に配置された釘で特定の入賞口を目指す)が登場し、パチンコは全国へと広がっていきます。
当時は電子的な抽選ではなく、入賞口に球を入れて増やすだけのシンプルなゲームでしたが、1950年には巨大産業へと成長を遂げました。
パチンコの歴史について、さらに詳しく知りたい方はコチラをご覧ください。

 

 

スロットの歴史

スロットの役一覧

 

スロットはパチンコからの発展系として東京オリンピックが行われた1964年にオリンピアマシンが登場しました。
オリンピアマシンは1枚BET・1列リールのシンプルなものでしたが、その後は3枚BET・3列リールの現代スロットの原型となる0号機が登場し、最新の6号機まで進化を遂げています。

 

スロットはパチンコ以上にゲーム性や機能の進化が多用で、これまで度重なる規制を受けてきた歴史を持ちます。
オリンピア機から6号機までの歴史については、コチラの記事で詳しく紹介しています。

 

 

初期から変わったこと

派手な演出の最新機種

 

パチンコ・スロットは長い歴史の中で幅広い変化を遂げてきました。
一番の違いは演出クオリティの変化で、最新のパチンコ・スロット機は多数の液晶と役物を使って豊富な演出を用意しています。
ゲームとしてのクオリティ以外に、パチンコ・スロットが初期の頃から変化を遂げた内容をまとめました。

 

ゲーム性

初期のパチンコ・スロットはほぼ運任せのくじ引きみたいなものでした。
スロットでは、リプレイ外しや小役などが追加されていき、昨今では演出から設定差を解析できる機種が主流になっています。

 

パチンコでは本格的な攻略要素ができたのはデジパチになってからで、90年代には液晶の演出と球が入るタイミングで期待値を分析するプロ集団の梁山泊が話題になりました。
現代も運が良くて釘の調整もしくは設定が良い台に座らないと長期的に勝つことはできませんが、少なからずパチンコ・スロットが登場した初期の頃よりも攻略要素が増えています。

 

規制強化と抜け道探しの格闘

パチンコ・スロットは何度も規制が行われていて、2020年現在もパチンコは2,400発出る台スロットは5号機の撤廃が決まっています。
こうした規制強化は今に始まったものではなく、長い歴史で何度も規制が行われてきました。

 

国はパチンコの出玉性能を抑えようと努力していますが、メーカーはあらゆる手段を使って高い出玉性能を維持した機種を投入し続けています。

 

お店の変化

規制を受けているのは台の変化だけではなくお店の営業も対象です。
2000年代にはお店の大々的なイベントが禁止されたほか、2020年4月よりホール内が全面禁煙になりました。

 

こうしたネガティブな規制だけではなく、昨今はパチンコ・スロットともに出玉を台に設置された吸い込み口に流すドル箱を使わないシステムが普及しています。
パチンコはドル箱および釘調整ができないP機に完全移行する予定で、お店はスマートな運営スタイルへと変化を続けています。

 

 

パチンコの市場規模

衰退するパチンコ業界のイメージ

 

パチンコ産業は財務省が統計を取り始めた1996年に市場参加者3,000万人・売上30兆円でした。
実際には統計を取り始める前の1990年代前後がピークで、当時の市場参加者は3,450万人ほどだったと言われています。

 

昭和のパチンコ産業は、戦後の1948年に正村ゲージが普及したことをキッカケに、1953年にはパチンコ店の数が387,664軒だった資料が残されています。
その後は連発式のパチンコ台が禁止されてパチンコ店1万軒以下に縮小しますが、チューリップの登場をはじめゲーム性の向上によって1960年代から再び成長路線に戻りました。

 

現代のパチンコは1996年以降に縮小を続けていて、レジャー白書によると遊戯人口は2019年時点で950万人。売上は20兆7,000億円に縮小しているようです。
ピーク時は遊戯人口3,000万人に対して売上が30兆円だったので1人あたり年平均10万円を使っていた計算ですが、2019年時点では1人あたりの年間パチンコ利用額が28.4万円まで増加しました。
このようにパチンコ産業は売上以上に遊戯人口の減少が深刻で、1人あたりが使う金額が年々高まっています。

 

 

パチンコ産業が衰退した要因

パチンコ産業が衰退した要因は大きく分けて次の3種類があります。

  • 規制強化で面白い機種が減っている
  • 攻略要素が増えて一般客が勝ちにくくなった
  • 他のギャンブルへの流出

 

液晶や役物を使うなど演出が多様化する一方で、一部のプロが攻略して荒稼ぎをするようになったことがパチンコ業界が衰退に転じたキッカケです。
また、台のクオリティが進化するにつれて、1台あたりの単価が上昇を続けています。
さらに競争激化によって2000年前後には、お店側が新台入替の頻度を狭めないといけない状況になりました。

 

結果的にお店側が釘と設定を引き締めて出しにくい状況を作り、お客が減ることでお店側は一層キツい設定にしないといけない悪循環が発生しています。
そこに、オンラインカジノ・公営ギャンブルのネット投票・FXなど、インターネットを活用したギャンブルと投資の普及が追い打ちになって、パチンコ業界は危機的状況に追い込まれました。

 

特に中でもオンラインカジノは、日本でのカジノ解禁が近いことも相まって注目を集めています。
しかし、現在は実態が不透明な運営サイトも混在している状況ですので、合法的に遊べるオンラインカジノをしっかり見極めてから利用するようにしましょう。

 

パチンコ・スロットの魅力は、身近な場所にあるお店でゲーム性が高いギャンブルを楽しめることです。
昨今は、自宅から24時間いつでも遊べてゲーム性にも優れたオンラインカジノが、パチンコよりも手軽なギャンブルとして流行しています。
パチンコ産業が衰退した要因について、もっと詳しく知りたい方はコチラの記事もご覧ください。

 

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