4つの時代に分けて、パチンコの歴史を詳しくご紹介します。

パチンコの歴史①~通史~

パチンコの起源は古く、1900年代初期には日本にパチンコのベースが入ってきて、1930年に風営法の許可を取った1号店がオープンしました。
その後は日中戦争をキッカケに太平洋戦争が終わるまで一時的に姿を消しますが、戦後に復活すると瞬く間に大流行しました。

 

戦前・第一次黄金期・第二次黄金期・遊戯人口3,000万人の全盛期・衰退した現代の項目に分けて、パチンコの歴史(通史)を紹介いたします。

 

パチンコ誕生(戦前の歴史)

パチンコの起源となったコリントゲーム

 

パチンコの起源は諸説ありますが、1920年前後にヨーロッパから伝わったコリントゲームを改良したものが日本のパチンコ第1号だと言われています。
コリトンゲームは大きなボールを使って1発ずつバネを使って打つもので、現在でも観光地に残っているスマートボールのようなものです。

 

その後はウィールゲームを改良したパチンコ機を使ったお店が1930年に名古屋でオープン(風俗営業第1号店)します。
当時はローカルなギャンブルとして認知度は低く、1936年に高知県でプチブームが起こった程度でした。

 

高知では35店舗ほどのパチンコ店がありましたが、その翌年の1937年に日中戦争が勃発して戦時特例法によりパチンコ店の新規開店が禁止。
さらに1941年からは太平洋戦争が始まり、パチンコは不要産業として全面禁止になりました。

 

 

第一次黄金期戦後のパチンコブーム

終戦の翌年1946年にパチンコが復活します。
当初は戦前のパチンコ台を使っていましたが、1948年に現代パチンコの起源になる正村ゲージが登場して一気に全国でパチンコが広がっていきます。

 

また同年(1948年)よりパチンコは許可営業が必要になっています。
1950年代前半には現在も残る大手パチンコ機メーカーが多数登場し、1953年にはパチンコ店387,664軒・製造メーカー約600社の一大ブームになりました。
当時は換金レートが1~2円程度でしたが、既に現在のお金の価値に換算すれば30兆円近い規模だったと言われています。

 

パチンコブームが起こった理由の一つが、自動的に高速でタマが出る連射式の登場でしたが、ギャンブル性が高いため1954年に連射式パチンコが禁止されます。
戦後のパチンコ業界では初めての大きな遊戯台規制によって、パチンコ店は一気に半減するほど衰退してしまいます。

 

 

第二次黄金期

衰退していたパチンコ業界ですが、1961年に3店方式として特殊景品での現金交換ができるようになり、第二次黄金期が到来します。
その後はパチスロの前身になるオリンピア機の登場、盤面のデザイン性向上などでパチンコ産業は年々規模とクオリティが向上し、成長を続けていきました。

 

パチンコ産業発展の系譜
1963年 メダル式パチンコ登場
1965年 オリンピアマシン登場
1972年 電動式ハンドルの認可
1978年 4円パチンコ誕生(それ以前は3円)
1980年 三共フィーバー登場(デジパチの前身)
1981年 ゼロタイガー登場(初代ハネモノ)

 

 

平成初期(パチンコ全盛期)

パチンコ屋にできる行列

 

昭和末期に現代パチンコの主流になったデジパチが登場し、平成初期にはCR機が登場するなど馴染みの深いパチンコが流行し、平成初期にはパチンコ産業が全盛期になります。

 

当時はパチンコ人口3,450万人、市場規模は30兆円と言われていて、社会人は週末になると当たり前のようにパチンコ店に通い、平凡なお店の通常営業日でも朝から行列ができていました。
その後は長らくパチンコ全盛期が続きますが、2004年の大規模規制によってパチスロの初代北斗の拳や吉宗が撤去されたことをキッカケにパチンコ産業は衰退していきます。

 

 

衰退した現代

錆びたシャッター

 

昨今は頻繁にパチンコの規制が行われ、パチンコのスペックが日々進化しています。
現代のパチンコはSTタイプの需要が大幅に高まり、出玉が少ない大当たりがある代わりに一撃性のあるタイプが人気になっています。

 

パチンコ機の演出クオリティは年々向上していきますが、客離れによって釘の調整を締めるお店が増え、勝ちにくくなって更に客が減る悪循環が生まれています。

 

 

 

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