現代パチンコの礎となる「正村ゲージ」を開発した正村竹一についてご紹介いたします。

パチンコの歴史②正村竹一

伝説を表すサイコロ

 

日本が世界屈指のパチンコ大国に成長したのは、現代パチンコの基礎となる「正村ゲージ」を開発した正村竹一氏の功績が大きいです。
正村竹一氏は「現代パチンコの生みの親」「パチンコの父」などと評されています。
パチンコの歴史では欠かせない存在である正村竹一氏の略歴と開発した正村ゲージについて紹介いたします。

 

 

正村竹一の略歴

1906年 生誕
1936年 名古屋でパチンコ店「スピード野球ボール」を開業
1940年 戦時法によるパチンコ禁止でパチンコ店を閉店
1945年 空爆で30発以上の弾片が身体に刺さり、そのうち4~5発が腕を貫通する大ケガを負うが奇跡的に生還
1946年 浄心遊技場として名古屋市内でパチンコ店を再開
1948年 正村ゲージ開発
1949年 正村ゲージがあるパチンコ店が長蛇の列を作る大ブーム
1966年 パチンコ業界の衰退により製造から撤退

 

もともとはパチンコ店の店主として開業した実業家で、戦後に独自のパチンコシステム「正村ゲージ」を生み出したことで、一躍全国区の実業家として注目を集めるようになりました。

 

正村ゲージとは

金槌と釘

 

それまでのパチンコ台は入賞口が多くて盤面に釘を均等に打ち込んだバラ釘が主流でした。
正村ゲージは入賞口を少なくして釘を不均一に打つことで、現代のパチンコのように球が複雑な軌道を描いて入賞口やハズレの受け皿に落ちていく仕組みです。

 

つまり、現代パチンコで主流になっているヘソに入賞させて1回転まわるパチンコの元祖となる存在が正村ゲージで、釘の並びや特定の入賞口に入って抽選するシステムは、全て正村ゲージの発展系です。
さらに正村ゲージでは最新機種でもよく見る風車や賞球のベルを初めて導入していて、一躍大ブームになります。
正村ゲージ登場当初から自身が経営するパチンコ店は大盛況になり、名古屋のパチンコ店が相次いで正村ゲージを購入し、瞬く間に全国へと広がっていきました。

 

なお、正村ゲージは特許出願をしていなく、他メーカーが類似のシステムを作ることを容認していました。
正村ゲージの影響で日本全国でパチンコブームが巻き起こり、もし特許出願をしていれば莫大な特許料を得ていたのではないかと言われています。

 

 

親族のパチンコ店が2010年に破産

 

パチンコ台の製造から撤退した後も「正村商会」として名古屋で「パチンコマサムラ」の営業を最近まで遺族が続けていました。
しかし、パチンコの深刻な客離れと大規模ホールの一極集中の余波を受けて、正村商会は2010年に破産しています。

 

正村竹一氏は、パチンコブームが起こった際に「孫の代でもパチンコは続いている」と予言しました。
予言通りに正村ゲージ登場から70年以上経った2020年代もパチンコは存続していますが、これだけ深刻な客離れが起こることは予測できなかったのでしょう。

 

 

 

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